法学・音楽と彷徨の記録

日々音楽にまみれつつ、法律資格の学習をしています。

身体の危険・精神的危機に陥るまでの前触れや予兆に気づく

 皆さん、こんにちは。

 お久しぶりです。

 ずっと当ブログの更新をしていませんでしたが、理由は日常生活で行うべきことや考えるべきことが多く、何かを書く余裕がなかったり、その余裕のなさを書く気にもならなかったから、と自身では振り返っています。

 当記事は、あまり気持ちの良い話ではありませんが、これを読むことによって誰かの何かに役立つとすれば、ぼくとしてはうれしいです。

 

1 気づかないうちに、危険や危機が迫っているかもしれない

 身の危険や精神的な危機に陥ってしまうまでに、個人を取り囲む状況には、何らかの前ぶれ・予兆がある。

 例えば、自ら積極的に動き汗水垂らして懸命に仕事をしていないにも関わらずあまりに物事が順調に進んでいるが「なぜかわからないが上手く行きすぎていないだろうか」とふと一抹の不安が時々頭の中をよぎる状況。または、入ってくるお金が不思議と多かったり予想外の「棚からぼたもち」で多くのお金を得たりするがそのお金を短期間で消費して手元の貯金はほとんど残っていないという状況。そして、自腹を切っていないのに、ぜいたくな飲み食いや接待を受けることに慣れてそれが通常であるという感覚が続いている状況。

 

2 一抹の不安を感じたら、立ち止まって自身を看る(みる)

 これらのような状況が続いている時、自身で先々の大きな危険を予感して少し立ち止まってみたり我慢してみたり、「あれ?何だか上手く行きすぎていないか?」と少し気や身を引いてみたり、「何かおかしい。運が良すぎる」と違和感を抱いて自制することを、人は忘れる。

 しかし、ドツボにハマる前に、身動きが取れなくなってしまう前に、我慢して一歩立ち止まる勇気と自らを振り返ることが人には絶対に必要だ。他の誰かから指摘されたり、ブレーキをかけられる時点で、もう結構ヤバい。

 

3 信頼する他者に自身をモニタリングしてもらう

 この「自制」に気づくためには、自身が信頼していたり尊敬していて、なおかつ自身のことをよく理解している他の人に時々会って話をしたり、聴いてもらう機会を定期的に持つことが役に立つ。すなわち、自身をモニタリングしてもらうことが必要だ。耳の痛い指摘を受けるかもしれないし、自身が期待する回答や評価を得られないかもしれないし、厳しい意見や叱責を受けるかもしれない。しかし、グッとこらえて自身の耳を傾けることが重要だ。極めて重要だ。そして、それが結果として自分の身を守ることにつながる。

 

 最後まで当記事をご覧いただき、まことにありがとうございます。

 

  Law123

人は様々な場で善悪にまみれ、弱く生きつつも、強さを志向する

 皆さん、おはようございます。

 昨日12月22日の日曜日、ぼくは約2か月ぶりでしょうか、自らの属するプロテスタントキリスト教会のクリスマス主日礼拝に出席し、信者の方々と交わりの時間を過ごしました。

 振り返れば、今年の夏の猛暑や残暑が思い出されます。過ごしやすく穏やかな秋という季節はあっという間に過ぎ去り、ぼくが過ごすここ大阪の地においても、いつのまにか最高気温が毎日10度前後の「冬」という季節を毎日のように感じさせられる時節となりました。

 この記事では、今朝未だ薄暗い中を歩いてコンビニで朝食を買いに行ったのですが、その時に思いついた「会社(やその他法人)で働く」ことやその過程で様々な形で生じる「善悪との対し方」について述べます。

 

1 働く上で「善を貫く」ことは可能か?

 

 働く上で、違法行為を犯してしまうことは避けなければなりません。

 さもないと、自身の人生が酷く苦く辛いものになるからです。

 法を犯さずに過ごしていた、ある程度平穏な日々を失い、その日々は二度と帰らず、極めて重苦しい精神的生活や経済的生活を強いられる事態となります。

 

 しかし、「善に生きる」ことを全きとすることが極めて困難であるのと同様に、「善を貫いてのみ」働くことも簡単には実践することは難しいとぼくは思います。

 

2 自分で心底良いと思える物を売っているか?

 

 物を売るという「営業職」について考えてみます。

 自らが心底素晴らしいと思えて、又は、自ら正直に「これは本当にあなたの役に立つ」と信じて、お客様に商品をアプローチすることを「常に」貫いているか?

 それはとても難しいとぼくは思います。

 自身の生活のために欠かすことのできない「お金を稼ぐ」ために「商品を売る」のが「営業職」に見出すことのできる大きな要素であるとぼくは考えます。

 

3 自身のミスを、自ら認め謝り報告しているか?

 

 事務職においては、最終的な成果物にミスがない状態であれば、自らが処理した作業や誰かに伝えた業務上必要な情報の正否は問われないと思います。

 しかし、人間はどんな方でも、ミスをしてしまうことから逃れることはできないと私は考えます。

 しかも、ミスをした時、それに「気づいているのは今のところ自分だけだからしばらく伏せておこう」と同僚や上司に伝えなかったり、軽微なミスであれば冗談でごまかして笑ってみたり、他の誰かのダブルチェックを当てにして「ミスをしても他の人が訂正してくれるから自分のミスは放っておこう」などと、ミスを自ら認めて然るべき人物へ謝り報告することに躊躇する気持ちを持ったことはないでしょうか?

 

4 人の本質については「性善説」ではく「性悪説」でもなく、「性弱説」であるといえる

 

 この章のタイトルは弁護士の久保利英明氏がおっしゃっていた言葉です。

人に善いも悪いもない。清濁合わせ備えているのが人間である。

人は(例えば、どんな立派な社会的地位にあろうとも、高潔な人格を有しているとみなされるような職に就いていようとも)「自らの立場や状況がとても不利であり、それに逆らうことが極めて困難なとき、人は『悪きに流れてしまう弱い生き物』である」。

という趣旨のお言葉でした。

 

 会社やその他法人において働く一個の人間として、仕事上の成果物を正確に仕上げる慎重さや情報伝達の的確さ、自社の新商品販売を開始する際に人々を巻き込み前進する大胆さや勇気というものは、とても大切なものだとぼくは思います。

 

 一方で、「失敗するかもしれない」「私の能力では到底その目標を実現することはできない」などと自身のつまらないプライドや恥をかきたくないという怯えを、人間誰しもが自らの精神に有していることも真実だとぼくは思います。

 

 ぼく自身、善でもなく悪でもない、不安定で曖昧な生き方をしています。

 それについて同意や共感を欲することはありません。

 

 そして、ぼくは、自らが善悪を併せ持っていると思います。

 けれども、人間はそこから離れられない、遠ざかることはできない、と簡単に諦めることはしたくありません。

 ぼくは、自らの心身の中に悪を有している弱い生き物であると自覚しつつ、少しでも悪に対して強くあろうと自らを律することを忘れずにいたいです。

 

 

 最後まで目を通していただき、まことにありがとうございます。

 

  Law123

民法の概要について、先週から復習しています

皆さん、こんばんは、Law123です。

そろそろ床に就く時間かな、と思いつつ。あまり眠くないです。

無理やりベッドに横になろうとも、眠れずにイライラしてしまいそうで、未だ横になりたくありません。

 

1 先週から民法体系編の復習を行なっています

 

 この3日間は、民法の総則編や物権編の概要について学んでいました。

 早く本格的な民法の学習に深く入っていく必要、焦りを感じながらも、二度目の「民法体系編」の復習を行なっているところです。

 理想としては明日で、債権編や家族法、そして不動産登記法の概要についての復習を済ませられれば良いなと思っています。

 

2 ぼくの復習のやり方

 

 講義中に講師の方がラインマーカーを引くように指示をなさった箇所を、字面を追いながらぶつぶつと読みつつ、ワープロソフト(ぼくはPagesを使います)で打ち込んでいきます。

 この作業の目的は、試験科目の全体像の「骨組み」を頭に叩き込むことです。

 なおかつ、法律知識の記憶です。

 記憶には手書きが最も効果的だとある書物で解説されているのを読みましたが、ぼくは早いタイミングで手が疲れてしまい学習意欲が下がりやすい性質なので、ワープロで法律知識を書きまとめます。

 

3 もう少し我慢して「初歩の初歩」を行いたいです

 

 未だ講師の方が指示する家族法会社法商業登記法については受講が済んでいるが復習が未だというものと、講義すら受けていない段階のものがあります。

 しかし、法律学習の当初から少し理解し難い「法律の理屈」や「細部の知識」を学び、記憶しようと気張ると、わからないままに無理やり記憶しようとする、しかも、十分な理解に根ざした記憶でないので、わかったようなわからないような曖昧な学習をしてしまうであろうという懸念がぼくは強いです。ある程度学習した後に振り返ると、「あまり法律分かってないな」と感じる可能性が高いとぼくは想像しています。

 ですので、現在の方法で法律の「枠組み」「仕組み」を大まかに理解することを重視して学習しているわけです。

 焦りはありつつも、焦らないように、「法律の考え方や知識の適切な理解」を今は重視しています。

 本講義に入ったら、嫌でも焦って何回も同じ学習箇所を回転させる必要があると考えますし、合格者の方々の言葉を読むと、合格するまで何度も同じことや苦手な箇所を繰り返して記憶する努力をしたというコメントを多く目にするので、早い時期にオーバーヒートしないように注意をしたいとぼくは思います。

 

 最後はくどくなりましたが、ここまで読んでいただき、まことにありがとうございます。急に寒くなりましたので、皆さん、ご自愛ください。

 

  Law123

不動産登記法のおかげで民法物権編が面白くなってきました

 はじめまして、皆さん。

 私は関西地方在住の司法書士試験受験生です。

 Law123と申します。

 

⒈ 現在私は、民法不動産登記法を中心に学んでいます

 私は以前から、民法よりも会社法商業登記法の方が面白いと感じて続けてきました。けれども、最近は「民法不動産登記法」も面白いなあと感じ始めています。

 

 言うまでもないことですが、民法という実体法における(主に)不動産物権変動を「公示」するためには、不動産登記法という手続法に則って揃えた書面(又はデジタル・データ)を法務局に提出し、それらが受理され、「登記簿」に記載される必要があります。

 

 ★「登記簿」とは、「土地や建物の名簿のようなもの」であるとイメージすると良いと参考書やテキストに書かれていることもありますが、私もそのようにイメージしています。

 

民法(主に「物権編」)が面白くなってきた

 私は、民法の出題範囲だと、債権編の方が好みであり、物権編はあまり好きではなかったです。というよりもむしろ、一人で参考書を読んでも「物権編」については、あまり意味がわかりませんでした。

 

 ただ、現在は異なった印象を抱いています。

 民法不動産登記法をセットで同時並行的に学ぶと、民法物権編のわからなさが少しずつ減っていくのを私は感じるようになってきました。

 

⒊ 「目に見えない物権変動を目に見える形に落とし込むのが不動産登記」

 上記は、ある資格試験講師がおっしゃっていた言葉です。

 正確ではないかもしれませんが、この文言の意味は民法学習経験者の方々には理解可能なのではないでしょうか。

 

 私としては、登記すべき不動産物権変動をただ単に意味も分からずに登記するのは、不可能だと思います。

 逆に言えば、「なぜこの物権変動が必要なのか?」という趣旨を理解していれば、登記の意味もその元となる物権変動(民法の出題範囲)の意味も見えやすくなり、その時必要な「登記」の意味もわかりやすいのでは?と私は今後の学習に期待しています。

 

 最後まで読んでいただき、まことにありがとうございます。

 

 なお、当ページに記載された知識に誤りがあれば、それは私のミスです。

 誤った知識の記載がある場合のご指摘は気兼ねなくお知らせください。

 よろしくお願いいたします。

 

  Law123